海馬

脳内の海馬の位置、内部構造、ニューロンの種類、記憶・学習・空間ナビゲーションに関する役割を示す図

海馬は側頭葉内側にある左右一対の湾曲した脳構造で、海馬形成の主要部分です。形がタツノオトシゴに似ていることが名称の由来です。新しいエピソード記憶や関係記憶の形成、学習、空間ナビゲーション、そして出来事の情動的な文脈づけに関わります。左右の海馬は似た基本構造を持ちますが、働きが完全に同一という意味ではありません。

海馬とタツノオトシゴの比較画像
海馬とタツノオトシゴ。Professor Laszlo Seress、派生作品:Anthonyhcole[CC BY-SA 3.0]、Wikimedia Commons

進化と比較解剖

海馬形成に相当する構造は、単孔類から霊長類まで広く哺乳類に認められます。他の脊椎動物にも、哺乳類の海馬と進化的に対応すると考えられる領域があります。昆虫やタコなどにも空間学習やナビゲーションの能力がありますが、その神経機構は哺乳類の海馬系とは異なり、類似した機能が独立して進化した可能性があります。種による大きさの違いだけから、記憶能力の優劣を判断することはできません。

主な機能

海馬は、内側側頭葉にある海馬形成の一部で、扁桃体、嗅内皮質、前頭前野など多数の領域と相互に連絡しています。新しい出来事やその状況を記憶として符号化し、場所や出来事の関係を表現することに重要です。ストレスや脅威への反応にも関係しますが、闘争・逃走反応を海馬だけが制御するわけではありません。
睡眠中には、学習時にみられた海馬関連の活動パターンが再活性化することがあり、記憶の固定や統合に寄与すると考えられています。ただし、再活性化の機能や覚醒時の活動との違いには未解明の点があります。
長期記憶がすべて海馬そのものに保存されるという意味ではありません。システム固定化の理論では、海馬と大脳新皮質を含むネットワークが時間をかけて協調し、記憶表象を安定化・再構成すると考えられています。「一時保管して別の場所へ送る」という比喩は理解の助けになりますが、実際の仕組みはより複雑です。

海馬と記憶

海馬は、新しいエピソード記憶や宣言的記憶、出来事どうしの関係を形成・整理するうえで重要です。感覚や情動との結びつきは、海馬だけではなく扁桃体や大脳皮質などを含むネットワークで生じます。海馬の前後方向や下位領域には機能的な傾向の違いがありますが、各部分が一種類の記憶だけを担当するわけではありません。ロンドンのタクシー運転手を対象とした研究では、長年の複雑なナビゲーション経験と後部海馬の構造・活動との関連が報告されています。ただし、海馬が大きいほど一般にナビゲーションが優れると結論づけられるわけではなく、一般集団での研究結果は一貫していません。

記憶の種類と海馬

海馬は、事実や出来事に関する宣言的記憶と、場所や経路の関係を扱う空間記憶の両方に重要です。ただし、人の記憶はこの二種類だけではなく、海馬以外の多くの脳領域も関与します。

宣言的記憶は、意識的に思い出して言葉で説明できる事実や出来事の記憶です。例えば、演劇の台詞を覚えることや、ある出来事を思い出すことが含まれます。

空間記憶は、場所、目印、経路などの関係を学び利用することに関わります。例えば、タクシー運転手が都市内の経路を学ぶときに使われます。右海馬が空間ナビゲーションで強く活動する研究はありますが、空間記憶が右海馬だけに保存されるわけではありません。

海馬と空間定位

ラットの海馬には、動物が環境内の特定の場所にいるときに活動しやすいニューロンがあります。こうした空間符号化は海馬機能の重要な側面ですが、海馬は場所だけでなく、時間、目標、経験の文脈なども表現すると考えられています。

自由に移動するラットやマウスの研究では、多くの海馬ニューロンに「場所受容野」がみられます。これは、動物が特定の領域を通過したときに発火率が高くなる現象です。個々の細胞の活動は、感覚情報、課題、経験などによって変化します。

薬剤抵抗性てんかんの治療評価のために臨床上必要な電極を留置していた患者の研究では、仮想環境を移動する課題中に、場所や経路に関連する海馬の神経活動が観察されています。研究目的だけで電極を留置したという意味ではありません。

海馬が損傷するとどうなるか

アルツハイマー病、低酸素、脳炎、外傷などで海馬や周辺の内側側頭葉が損なわれると、新しい長期記憶を形成しにくくなる前向性健忘や、損傷前の一部の記憶を失う逆向性健忘が起こることがあります。両側の損傷は一般に影響が大きいものの、症状は損傷の場所と範囲、原因、他の脳領域の状態によって異なります。古い記憶が必ず保たれる、または海馬だけで症状を説明できるということではありません。